待てるか待てないか。それは問題か

僕の世界は2種類のもので埋め尽くされている。
それは、僕が待てるものと待てないものである

例えば以下のようなものである。
・待てるもの
Chromeをアクティブにし、cmd + L でブラウザのurlの部分をアクティブにし、検索ワードを入力し、googleの検索結果を表示し、クリックをする

・待てないもの
Chromeをアクティブにし、cmd + L でブラウザのurlの部分をアクティブにし、検索ワードを入力し、googleの検索結果を表示し、クリック後のサイトへの遷移時間

一連の行動において、能動と受動が入り混じっているのは明らかである。

・「Chromeをアクティブにし」という行動の作用により、アクティブにされるChrome
・「cmd + L でブラウザのurlの部分をアクティブにし」という行動の作用により、アクティブにされるブラウザのurl部。
上はいずれも受動だ。

能動的に行動しているのであれば、待つという概念はないが、いざ受動となると待つことが生じる。
検索結果クリック後のサイトへの遷移は待てはしない。
ここに「待てるの地平線」が存在していると言えよう。

はて、「待てるの地平線」は遠いほうがいいのか近いほうがいいのか。



朝ごはんを食べながらそのようなことを考えていたのだが、僕のとなりに寝そべりながら息子は言った。

「世界は気持ちいいねえ。」