量子的バナナ
子どもの言葉にどのように返答しているだろうか。
返答に窮することがあるのではないだろうか。
例えば先日の記事のような質問だ。
webizo.hatenablog.com
親の尊厳を守り、子どもが世界を知ることができ、双方の合意を形成する、究極的な方法を僕は探している。
今回の投稿はその方法の可能性のひとつとして検討したい事柄である。
或る日、息子は言った。
「バナナたべたい」
「アイスクリームたべたい」
と更に付け加える。
僕は言う。
「なるほど。でも両方たべちゃったら夕ご飯たべられないな」
「バナナ食べるか、アイスクリーム食べるか。どっちがいい?」
僕の問いかけは、この時期の子どもに有効な「自分で選択することで納得感を得る」ことができるという、Yahoo!知恵袋でも子どものわがままに対する有用な返答としてベストアンサーに選ばれるほどの素晴らしいものだ。はてなブックマークでもこの種の言明をよく見かける。
息子は応える。
「バナナとアイスクリーム食べる」
はてなブックマークもYahoo!知恵袋を超え、選択肢Cを創出した。
息子には世界の多様性を知って欲しいと思っているし、常識に疑問を投げかけ、考える人間になって欲しいと願っている。
考えているということを僕に知覚させた点については嬉しく感じたが、その選択肢は夕ご飯があるということと君の胃袋の大きさという前提を大きく崩しており、許容し難い帰結である。
前提の話しは息子には理解が困難であろうと思われたが、ふとバナナとアイスクリームの量子的な振る舞いで説明可能ではないかという考えにいたった。
物理的事物は観測することで固定される。故に観測されなければ、確率的にしか存在しない。
つまり、バナナは観測しない限り存在が確定しない。バナナは生きながら死に、死にながら生きているのである。
これらを考慮し、量子的な振る舞いをもったバナナの性質について子どもがわかるように伝えるための返答はこうなる。
「バナナはないよ」
いかがだろうか。効果があれば追ってお知らせしようと思う。