トポロジー面白いね、と息子は言った

息子と絵を書いた。


年齢は3歳とすこし。
人を描く時はまず顔の輪郭がわかる丸を描き、顔のパーツを構成するには多少多いいくつもの点が打たれる。
その絵を「おばあちゃん」といって差し出せば、トミカのミニカーになって戻ってくるような、ワラとしては十分に使える3歳程度にモノを描く。


僕は、参考をたて、それを模倣することが3歳児に可能なのかを知りたいという欲求に抗えず、いつもと違う描き方を息子に提案した。

「これを描こう」クレパスの箱に書いてあるハチを指差し言う。
「ハチね」息子はそう言い、線を引き始める。

ハチに見えず輪郭が明確でない、けれどハチの腹のシマシマと解釈できるようなモノを描いた。
息子は言う「できた」


僕は言う「なるほど、トポロジーか」

息子は今のところ、モノを僕が見たように描くことはない。
しかし、ハチのシマが僅かに感じられるその絵は息子にとって、参考のハチそれそのものなのだ、とそう思えた。

僕はなんと狭量だったろう。
世界は感覚的でなく、サピエンスの認知はなんといい加減なものなのかと常々話しているのにもかかわらず、息子はまだ絵を上手にかけないと決めつけていた。

息子は描けないのではなく、すでに描いていた。
世界の解釈の仕方がちがうのだ。



そして、息子ははじめて聞いただろうトポロジーの意味も尋ねず、僕を慰めるように言った。
トポロジー面白いね」